私は常々疑問に感じる。国は、際限なく紙幣という名の紙切れを刷っている。
そしてその国に住む人々や、貿易をしている国々はその紙切れを得るために一生懸命努力しており、場合によっては人はその紙切れの奴隷になっている。今回は、お金に対して以下の3つのポイントに絞って考えていきたいと思います。
- お金とは何か?
- 何故人はお金に縛られるのか?
- お金に縛られない生き方を実現する為には?
※本記事を執筆するにあたり参考にした書籍
お金とは何か?
上記書籍によると、お金(貨幣)は、1万年以上前から存在しているらしい。
古代は、高床式倉庫等物資を保管する場所は共同利用、共同管理が行われていたようで、その倉庫に預けた物資の量を、貝殻等に記載していた。
この貝殻が今で言うお金として機能していたようで、物と交換する事が出来たようだ。
つまり、昔は預けた実態の記録がお金であった。
この仕組みは1942年頃まで金本位制として続いており、貨幣は金との引換券という位置付けであった。
1942年には、金本位制が崩壊し、管理通貨制度に移行した。
管理通貨制度とは、貨幣が金との引換券という位置付けではなく、国がその価値を担保するからお金の価値をみんなで信用して欲しいという貨幣制度だ。
つまり、この時点でお金(貨幣)は、実態に紐付くものではなく、実態が伴わない仮想的な物(紙屑)になったのだ。
これにより、お金は国や銀行が魔法のように際限なく生み出すことが可能になった。
国はお金をジャブジャブ刷り、銀行は融資と債券を組み合わせて錬金術のようにお金を生み出す。
国はまだ許せても、銀行はお金という誘惑に付け込んで何の対価(労働やそれに準ずる価値)を提供せずに利益を生み出すやり口は、私としては納得がいかない。
上記やり口は、無から有を無理やり作り出している為、どこかに歪みが生まれる。その歪みが大きくなり膨張した結果、バブルが弾けて日本経済が破綻してしまった。
そして、銀行は散々甘い汁を吸ったにも関わらず、いざ困ったら国に泣きついて公的資金(税金)により助けてもらう。
こんな事が許されていいのだろうか?この件に関しては、また別の記事で詳細に議論させて頂きたい。
少し話が脱線してしまったが、お金とは何か?という問いについての答えは、1942年以降管理通貨制度に移行した為、お金 = 『国の信用』というのが現状の答えだと考えている。
何故人はお金に縛られるのか?
この問いについての答えはシンプルで、お金(貨幣)がその国のインフラとなっているからだと考えている。
その国の公共サービスや病院、鉄道、スーパーマーケットからサービスを受けるためにはお金(貨幣)が必要となっている。逆にお金がなければサービスは受けられない。
※本件に関しては生存権(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利)が保証されている為、一概には言えないのだが、これについての別の記事で補足したい)
つまり、お金(貨幣)とは、国という集団に所属する為の切符であり、その集団があるからこそお金(貨幣)は価値を保つことが出来る。
(※国や特に銀行が錬金術を乱用しなければ)
ここからが本章の本題で、何故人はお金に縛られるのか?
それは、国のサービスを受ける為にはお金が必要だからだ。資本経済はすべての物に対して交換価値を定義してしまった。その結果、何をするにしてもお金が必要になった。
最初から資産家であれば問題ないが、大抵の人はそうではない。だから皆借金をする。
借金に対しては、資本経済は当然の如く利子を取る。
その結果、人はお金に縛られ、お金に隷属してしまうのだ。
(昔が一概に良かったとは言わないが、資本主義が始まる前は地主から土地を借りて、田畑を耕し、収穫の結果から地主に税を払う。つまり借金(支払い)が最初ではなく支払いが後の成果報酬であったが、資本主義が始まってからは、土地の賃料等を先に払わないと何もできない為、支払いが先になってしまった結果お金に隷属することになった。これが資本主義による大きなパラダイムシフトだろう)
お金に縛られない生き方をする為には?
ここ迄の結果、何をするにもお金が必要で、借金をしたら利子によってお金に隷属を誓わされてしまうのなら、バイトやサラリーマンをしてノーリスクでお金を稼げば良いと思われる方も多いだろう。
その考えは最もな事だとは思うが、資本主義という大前提に立った場合、バイトやサラリーマンという労働者は、資本家により搾取される側の存在である。
資本家は労働者から如何に余剰価値を吸い上げて自己の利益を増大させるかが重要な関心事であり、残念ながら労働者の利益を第一に考えている資本家は少ないだろう。
(資本主義自体が労働者の余剰価値に立脚している為、残念ながら労働者を第一に考えた場合、資本主義社会では生き残れないだろう。このことは昨今の終身雇用の崩壊や45歳定年説等を見ても分かる事で労働者の権利は簡単に踏みにじられる)
つまり、バイトやサラリーマンで居続ける限り、この資本主義社会に於いては永遠と搾取されるだけの人生となってしまうのだ。
この資本社会に生きていく限りは、残念ながら労働者を搾取する側である資本家・投資家にならないとお金に縛られない生き方は実現できない。
だからと言って、銀行のように何ら価値を生まず対価を払わず楽して稼ぐような事をしてしまうと、国力が衰え結果としてそこに住む人々の暮らしが破綻してしまうため、価値を生み出しながら、資本家・資産家になる道を模索していく必要があると考えている。
余談だが、資本社会は搾取対象の労働者が大多数いないと成り立たない構造となっている為、仮に皆が皆労働者階級を脱した場合、搾取対象が存在しなくなり、この資本主義社会は成り立たなくなるだろう。
そうした場合、この社会がどうなっていくのか非常に関心を持っている。
次回は、上記内容を論点に加えながら、労働者階級の脱し方について掘り下げて考察していきたいと思う。
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